2008年12月01日
もうすぐ日曜日になろうかという、土曜日の夜遅く。
机の上に置いてた携帯が小さく震えて、着信ランプが光った。
(誰だろう)
ベッドの上で捲ってた雑誌を置いて立ち上がって、携帯を手に取る。
新着メールが、一件。
「あ」
受信ボックスに表示された名前は、晴明だった。
慌ててメールを開く。
『遅い時間に悪い。まだ起きてるか?』
短い文面を読んでから、急いで返事を打った。
『うん、起きてる』
送信して、返事が来るかと立ったまま画面を凝視してると、すぐにまた携帯が震えた。
今度はメールじゃなくて、電話だった。
急いで通話ボタンを押して、携帯を耳に当てる。
「もしもし」
『博雅か』
「うん。晴明?」
『ああ。遅い時間に悪いな』
「大丈夫だよ、起きてたから」
そんな言葉を交わしながら、電話で晴明と話すのは初めてだなと、ふと思った。
転校してきた晴明とクラスメートになって、二週間あまり。
偶然、住んでる町も、最寄り駅も同じだってわかって、行き帰りも一緒に行動する事が多くなっていた。
携帯の番号もメアドも、すぐに交換したけど、俺からもまだ電話した事はないと思う。
『博雅、明日の午後、空いてるか』
「えっ?」
『今ネットで、面白そうなの見つけてな。興味あれば一緒に行かないか』
「面白そうなものって?」
『愛宕町の久峰神社って知ってるか』
晴明が口にしたのは、確か電車で二つ三つ先の駅の近くにある、割と大きな神社だった。
「うん、知ってるけど」
『あそこでな、明日の2時から、雅楽の奉納演奏があるんだ』
「雅楽?」
聞き慣れない言葉に、戸惑った。
雅楽って、お正月とかに神社で耳にする、あの音楽だったっけ?西洋音楽とは違う、何だか変わった旋律の・・・。
あ、確か結婚式とかでも演奏するよな。
俺の戸惑いに気が付いたのか、電話口の向こうで晴明は苦笑したようだった。
『興味ないか?』
「あ、ううん、そういう訳じゃないんだけど。雅楽って、俺ほとんど聴いたことないから」
慌ててそう答えた。
実際雅楽に興味がある訳ではなかったけれど、せっかく晴明が誘ってくれたんだし。
『秋の例大祭らしいんだ。舞楽もあるし、舞台が屋外だっていうから、雰囲気あると思うぞ。奉納演奏だから、無料だしな』
舞楽・・・踊りかな?
「ふうん。面白そうだな」
『雨の場合は、雅楽演奏は中止になるそうだけどな』
晴明の声を聞きながら、窓際まで歩いてカーテンを開けた。
窓ガラスが濡れてる。さっきまで、結構強い雨音が聞こえてたのを思い出した。
「・・・行きたいな。雅楽ってどんなのか良くわからないけど、聴いてみたい。それに、せっかく晴明が誘ってくれたんだし・・・」
そう言うと、晴明が笑った気配がした。
何か可笑しなこと言ったか、俺?
『そうか。じゃぁ、明日の昼までに確認して、携帯に連絡するよ』
「わかった。・・・あ。午前中は、図書館に本返しに行くつもりなんだ。携帯、マナーモードにしてるかもしれないけど」
『なら、メールする。雅楽は2時からだから、待ち合わせは駅に1時でいいか』
「うん、了解。それじゃあ、明日」
『ああ、明日な。お休み』
「うん、お休み―」
・・・プツ
互いにお休みと言い合って、通話終了のボタンを押した。
カーテンを開けたままだった窓の鍵を外して、窓ガラスを引く。
外の景色に目を凝らすと、雨音は聞こえなかったけれど、街灯の明かりに照らされる細かい雨粒が見えた。
この雨は、明日までには止むだろうか。
「・・・雅楽演奏か」
晴明と、神社で雅楽。
なんだか不思議な取り合わせだったけれど、段々わくわくした気分になってきた。
「晴れるといいな」
真っ暗な空を見上げて、無意識に呟いていた。
***
翌朝起きてみると、夕べの雨は明け方に止んだみたいで、秋晴れという言葉がぴったりの良い天気になっていた。
「なあに?朝から機嫌が良いじゃない」
朝ご飯のトーストを齧ってる俺に、母さんがそんな事を言ってくる。
確かに晴れて嬉しい気分だけど。そんなに顔に出てるのか?
内心ちょっと焦りつつ、
「午後に、友達と雅楽の演奏を聴きに行くんだ」
「雅楽?」
俺の言葉を聞いた母さんが、紅茶を淹れてた手を止めて、怪訝そうな顔してこっちを見た。
その反応に思わず笑ってしまう。そうだよな、母さんだって、雅楽なんて多分ちゃんと聴いたこと、ないんじゃないか。
「友達って、同じ高校の子?」
「うん。ほら、話しただろ、この前クラスに転校生が来たって」
「ああ、最近仲の良い子ね」
え・・・俺、そんなに晴明の話、してるかな。
そう思った俺に構わず、母さんは続けて聞いてきた。
「一体どこに聴きに行くの、雅楽なんて」
「いくつか先の駅に、久峰神社ってあるだろ?あそこの例大祭なんだって」
「そうなの。でも雅楽だなんて、その友達、随分渋い趣味ね〜」
た、確かにそう・・・かも、しれない。
晴明が雅楽が好きだなんて、夕べ初めて知った。そもそも、どこで雅楽なんて知ったんだろう?
(会ったら、聞いてみようかな)
サラダボウルの中の、フレンチドレッシングのかかったレタスを口に運びながら、そんな事を思った。
「あ、博雅。お母さん、今日友達と会う約束があるから、お昼適当に食べて。シチュー作ってあるから」
「うん、わかった。この後図書館行くから、帰ってきてから食べるよ」
晴明からのメールはまだ来てないけど、これだけ晴れれば、雅楽演奏は開催だよな。
図書館には早めに行って、遅くならないで帰ってこよう。
そう思いながら、最後のトマトを口に入れた。
***
借りてた本の返却と、新しい本の貸し出しを済ませて図書館を出たのは、午前11時を少し過ぎたところだった。
駐輪場に停めてた自転車の籠に本を入れてから、上着のポケットを探る。
携帯を開くと、晴明からメールが来ていた。
『奉納演奏開催。駅の改札前、1時に会おう』
『了解。楽しみにしてる』
すぐに返信を打って、携帯をポケットに戻してから、自転車の鍵を外した。
(まだ時間あるな。違う道通って帰ろう)
図書館は一日居ても飽きないけど、今日は一時間で出てきてしまった。
待ち合わせの1時までは、まだ十分時間があるもんな。
少し遠回りになるけど。
図書館前の道を、来た時とは逆の方向に、走り出した。
所々、まだ微かに湿って斑になってるアスファルトの上を、風を切って走る。
(気持ち良い日になったな――)
思わず内心で独り言ちた。
雲ひとつない空は、真っ青で、眩しい位だ。
神社の例大祭。これなら、神様のお祭りに相応しい天気だよな。
そんな事を思いながら、大通りをしばらく走ってから左に曲がって、住宅街に入った。
スピードを落として、ゆっくりとペダルを漕ぐ。
この辺りは昔からの古い家が残ってる閑静な住宅街で、俺の好きなエリアだ。
山の手って言うのかな、大きな日本家屋とか、重厚な古い洋館とか、立派な家が多くて、見て歩くだけでも楽しい。
高い塀に囲まれてて、建物はあまり見えないことも多いけど。
道の両側に立ち並ぶ立派な家を眺めながら走っていくと、この一画でも特に俺の好きな、というか気になる家が見えてきた。
普通の建売住宅の6、7軒分くらいありそうな広い敷地の奥に建つ、古い洋館。
塀越しに建物の上半分しか見えないけれど、多分大正時代の建築じゃないかと思う。
日本家屋の雰囲気も取り入れた和洋折衷という感じの落ち着いた建物で、すぐ傍らに聳える大きなケヤキの緑が、良く映えてる。
庭にはケヤキの他にも大きな木があって、ちょっとした林みたいに見えた。
塀近くの八重の枝垂れ桜は、咲いてるのをこの春に初めて見たけど夢みたいに綺麗で、自転車を停めてしばらく見入ってしまった記憶がある。
どんな建物か、近くで見てみたいなぁ。
そう思いながらゆっくり走って、塀から見える二階の窓に向けてた視線を、前方に戻した時だった。
急に目の前に飛び出してきた、小さな黒い影。
「うわっ!」
キキ――ッ
反射的にブレーキを掛けると、タイヤの軋む耳障りな音がして、自転車が止まった。
ね、猫?
ドキドキする胸を落ち着かせながら目をやると、轢かれそうになった事など知らぬ気に、こっちをじっと見ている猫と目が合った。
金色の瞳をした、真っ黒な猫だ。
「こら、危ないじゃないか」
猫相手に文句を言っても仕方ないと思いつつ、思わず苦情が口を突いて出てしまった。
猫はまだ俺の事を見ていたけど、やがてふいっと視線を逸らすと、しなやかな動きで敷地の中に消えた。
この家の猫なのか?
「・・・あ」
その時に気付いた。
いつもは閉じてる門が、開いてる。
思わず自転車を停めてそっと覗くと、見たいと思っていた家の、正面右半分が見えた。
南側に大きく取った窓は窓枠が印象的で、遠目でも、今とは違う厚手のガラスが使われてるのがわかる。
半分だけ見える玄関には、ステンドグラスが嵌め込まれていた。
もっと見たくて、躊躇いながらも門から半歩身体を入れて、建物の全体を眺めてると。
人の姿のなかった庭に、家の裏手から男の人が現れた。
あ、と思った瞬間に、その人と目が合ってしまった。
結構離れた距離だったけど、俺を見たその人が、驚いたように目を瞠ったのがわかった。
家を覗いてる、怪しい奴と思われただろうか。
慌ててペコリと頭を下げて、門から離れようとしたのだけれど。
「君!」
庭にいるその人から、呼び止められた。
何をやってたんだと、咎められるんだろうか。
少しだけ不安を覚えながら振り向くと、その人は足早にこちらに近付いてきた。
背が高い。
二十代後半だろうか。そんなに怖そうな人には、見えないけど――。
その人は俺の顔を見て、何を考えてるか、わかったようだ。
「すみません、中を覗いたりして・・・」
「いやいや、君を怒るつもりで呼び止めたんじゃないよ」
謝った俺に、その人は大きな手を振りながら、にこりと笑った。
「ウチに用があったんじゃないのかい?」
「え、いえ、違うんです」
ホッとしながらも、慌てて首を振った。
「前から、こちらの家を見てみたいなって思ってたんです。今日通り掛かったら、門が開いてたものですから、それで・・・」
「家を?」
「はい、建築に興味があって・・・建物を見るのが好きなんです」
「ふうん、そうか」
その人はまた、にっこりと笑った。
イケメンっていうのか、格好良い人だけど、笑うと何だか可愛く見える。
年上の男の人に、こんな事思うのは失礼かもしれないけど。
その人はちらりと家の方を振り返ると、
「生憎今日は時間がないんだけどね、家を見たければ、また遊びにおいで。こんなボロ家に興味があるならね」
そう言って愉快そうに笑った。
それからふと思い出したように俺を見て、
「ところで君、花は好き?」
「えっ?は・・・はい」
突然の質問に戸惑ったけど、そう答えた俺に、その人は満足そうに頷いて言った。
「庭のバラが見頃なんだ。少し持っていかないか」
「え・・・」
「ほら、こっち来て」
言うなりスタスタと歩き出したその人の後を、躊躇いながら追いかける。
建物の、居間だと思う大きな窓のある部屋の前は、芝生になっていた。
その先に、色とりどりのバラの花が咲いてる。まるでちょっとしたバラ園みたいだ。
その人は庭にある鉄製のテーブルの上から、ガーデニング用なんだろうか、緑色のグローブを取り上げると、両手に嵌めた。
それから、やっぱりテーブルに置かれてた剪定鋏を取り上げると、
「ほら、こっち」
俺にそう言って、バラの茂みの中に入っていく。
近付いてみると、遠目にはわからなかったけど所々に小道が作ってあって、きちんと花壇のようになっていた。
甘い香りが、辺りにふんわりと漂ってる。
「好きなバラはあるかい?」
「えっ」
「リクエストがあれば、遠慮せずに言っていいよ」
剪定鋏を見せながら、その人は機嫌よく俺にそう言うけれど、何て言ったらいいのか、困ってしまった。
「ないなら、任せてもらえるかな」
「は、はい」
「よーし、君に似合うのを選ぼう」
お、俺に似合うバラって・・・そんなの、ないと思うんだけど。
所在無さ気に立っている俺に構わず、その人はパチリパチリと、豪快にバラを切っていく。
「あ、あの、少しでいいです。せっかく綺麗に咲いてますし――」
「綺麗に咲いたから、持って行って欲しいんだよ、君にね」
「え・・・」
ほんの数分で、その人の腕には、抱えるほどのバラの花束が出来ていた。
え、これ、全部!?
「今、包むから。新聞で悪いけど」
「いえ、そんな――」
「荷物になっちゃうけど、自転車だよね」
「はい」
あれ?俺が自転車だって、どうしてわかったんだろう。門の外に停めてる自転車、見たのかな?
俺の疑問には気付かない様子で、その人はバラの茂みから出てくると、さっきのテーブルにあった新聞を取り上げて、それを広げた。
そうして、その上に置いたバラを手際良くくるくると包むと、グローブを外して俺を振り返った。
「一応、説明するとね」
花を俺に向けて、
「この白いのが、グラミス・キャッスル。で、これはアンブリッジ・ローズ。春はピンク色なんだけどね、秋咲きはアプリコット色になるんだ。同じアプリコットだけど黄色味の強いこっちは、ジュード・ジ・オブスキュアー。この三種類は、イングリッシュローズだよ。そしてこのピンク色で八重のクォーター咲きのが、オールドローズのスブニール・ドゥ・ラ・マルメゾン。庭にある中から、君のイメージで選んでみたんだけど、どうかな」
そう言いながら、その人は新聞紙に包まれた豪華な花束を、俺に手渡した。
「ありがとうございます。すみません、こんなに沢山・・・」
お礼の言葉は、ありきたりの文句しか出てこなかった。
こんな風に花を貰った事なんて、今までにないし。何て言ったらいいのか、わからなかったんだ。
「綺麗ですね・・・」
思わず呟いたのは、心からの言葉だったけれど。
胸に抱えた花から、甘い香りが立ち上ってくる。バラは、20本はありそうだった。
しばらく花を見詰めた後、我に返って顔を上げると、その人は目を細めて俺を見ていた。
「君は、高校生?」
「はい。一年です」
「そうか」
何だか、楽しそうだな。
「家が近いなら、また遊びにおいで。古いだけで大した物はないけど、建築に興味があるなら、屋敷を見るのも悪くないだろうしね」
「はい、ありがとうございます」
花を抱えてペコリとお辞儀をすると、その人はまた愉快そうに笑った。
「あの、それじゃぁ僕、そろそろ失礼します」
「そうかい?」
「はい。バラの花、どうもありがとうございました」
「どう致しまして」
もう一度頭を下げてから、歩き出す。
門まで来て振り返ると、その人はまだこっちを見ていて、俺に手を振ってくれた。
俺ももう一度お辞儀をして、思いがけず潜った門を出る。
それから、門に掲げられた表札を見た。
『勘解由小路』
な、何て読むんだ?
家も敷地も立派だし、何だか由緒ありそうな名前だな・・・。
そんな事を思いながら、バラの花束を自転車の籠に入れようとして、視線を落とした。
「あ」
花の包まれた新聞が英字新聞だって事は気付いてたけど、よく見るとそれは、フィナンシャル・タイムズだった。
一瞬、父さんを思い出してしまった。
あの人も、金融関係の仕事なのかな。
『君に似合うイメージで、選んでみたよ』
一緒に、さっき言われた言葉も思い出してしまった。
耳に心地よい声だったけど、正直言われた言葉には、頷けない・・・ぞ。
籠の中の、綺麗なバラの花。
その時不意に、晴明の貌が浮かんだ。
(この白いバラ・・・)
晴明、みたいだ。
晴明だったら、男だけど、このバラみたいだって言っても違和感ないよな。
いいや、文句なく似合うと思う。
「あ、時間!」
急に約束を思い出して、慌てて腕時計を見た。
大丈夫、まだ余裕ある。でも、そろそろ帰って昼ご飯食べなくちゃな。
自転車のスタンドを外して、もう一度表札に目を向けた。
なんだか不思議な出会いだったけど、良い人だったな。
段々と、楽しい気分になってきた。
(午後は、晴明と雅楽だしな)
初めて体験する雅楽が楽しみなのか、晴明と出かけるのが嬉しいのか、俺にもよくわからなかったけど。
きっと、両方なんだろう。
アスファルトを蹴って、自転車で走り出す。
籠の中で、晴明みたいな白いバラが、秋の光を弾いてきらりと光った。
To be continued
机の上に置いてた携帯が小さく震えて、着信ランプが光った。
(誰だろう)
ベッドの上で捲ってた雑誌を置いて立ち上がって、携帯を手に取る。
新着メールが、一件。
「あ」
受信ボックスに表示された名前は、晴明だった。
慌ててメールを開く。
『遅い時間に悪い。まだ起きてるか?』
短い文面を読んでから、急いで返事を打った。
『うん、起きてる』
送信して、返事が来るかと立ったまま画面を凝視してると、すぐにまた携帯が震えた。
今度はメールじゃなくて、電話だった。
急いで通話ボタンを押して、携帯を耳に当てる。
「もしもし」
『博雅か』
「うん。晴明?」
『ああ。遅い時間に悪いな』
「大丈夫だよ、起きてたから」
そんな言葉を交わしながら、電話で晴明と話すのは初めてだなと、ふと思った。
転校してきた晴明とクラスメートになって、二週間あまり。
偶然、住んでる町も、最寄り駅も同じだってわかって、行き帰りも一緒に行動する事が多くなっていた。
携帯の番号もメアドも、すぐに交換したけど、俺からもまだ電話した事はないと思う。
『博雅、明日の午後、空いてるか』
「えっ?」
『今ネットで、面白そうなの見つけてな。興味あれば一緒に行かないか』
「面白そうなものって?」
『愛宕町の久峰神社って知ってるか』
晴明が口にしたのは、確か電車で二つ三つ先の駅の近くにある、割と大きな神社だった。
「うん、知ってるけど」
『あそこでな、明日の2時から、雅楽の奉納演奏があるんだ』
「雅楽?」
聞き慣れない言葉に、戸惑った。
雅楽って、お正月とかに神社で耳にする、あの音楽だったっけ?西洋音楽とは違う、何だか変わった旋律の・・・。
あ、確か結婚式とかでも演奏するよな。
俺の戸惑いに気が付いたのか、電話口の向こうで晴明は苦笑したようだった。
『興味ないか?』
「あ、ううん、そういう訳じゃないんだけど。雅楽って、俺ほとんど聴いたことないから」
慌ててそう答えた。
実際雅楽に興味がある訳ではなかったけれど、せっかく晴明が誘ってくれたんだし。
『秋の例大祭らしいんだ。舞楽もあるし、舞台が屋外だっていうから、雰囲気あると思うぞ。奉納演奏だから、無料だしな』
舞楽・・・踊りかな?
「ふうん。面白そうだな」
『雨の場合は、雅楽演奏は中止になるそうだけどな』
晴明の声を聞きながら、窓際まで歩いてカーテンを開けた。
窓ガラスが濡れてる。さっきまで、結構強い雨音が聞こえてたのを思い出した。
「・・・行きたいな。雅楽ってどんなのか良くわからないけど、聴いてみたい。それに、せっかく晴明が誘ってくれたんだし・・・」
そう言うと、晴明が笑った気配がした。
何か可笑しなこと言ったか、俺?
『そうか。じゃぁ、明日の昼までに確認して、携帯に連絡するよ』
「わかった。・・・あ。午前中は、図書館に本返しに行くつもりなんだ。携帯、マナーモードにしてるかもしれないけど」
『なら、メールする。雅楽は2時からだから、待ち合わせは駅に1時でいいか』
「うん、了解。それじゃあ、明日」
『ああ、明日な。お休み』
「うん、お休み―」
・・・プツ
互いにお休みと言い合って、通話終了のボタンを押した。
カーテンを開けたままだった窓の鍵を外して、窓ガラスを引く。
外の景色に目を凝らすと、雨音は聞こえなかったけれど、街灯の明かりに照らされる細かい雨粒が見えた。
この雨は、明日までには止むだろうか。
「・・・雅楽演奏か」
晴明と、神社で雅楽。
なんだか不思議な取り合わせだったけれど、段々わくわくした気分になってきた。
「晴れるといいな」
真っ暗な空を見上げて、無意識に呟いていた。
***
翌朝起きてみると、夕べの雨は明け方に止んだみたいで、秋晴れという言葉がぴったりの良い天気になっていた。
「なあに?朝から機嫌が良いじゃない」
朝ご飯のトーストを齧ってる俺に、母さんがそんな事を言ってくる。
確かに晴れて嬉しい気分だけど。そんなに顔に出てるのか?
内心ちょっと焦りつつ、
「午後に、友達と雅楽の演奏を聴きに行くんだ」
「雅楽?」
俺の言葉を聞いた母さんが、紅茶を淹れてた手を止めて、怪訝そうな顔してこっちを見た。
その反応に思わず笑ってしまう。そうだよな、母さんだって、雅楽なんて多分ちゃんと聴いたこと、ないんじゃないか。
「友達って、同じ高校の子?」
「うん。ほら、話しただろ、この前クラスに転校生が来たって」
「ああ、最近仲の良い子ね」
え・・・俺、そんなに晴明の話、してるかな。
そう思った俺に構わず、母さんは続けて聞いてきた。
「一体どこに聴きに行くの、雅楽なんて」
「いくつか先の駅に、久峰神社ってあるだろ?あそこの例大祭なんだって」
「そうなの。でも雅楽だなんて、その友達、随分渋い趣味ね〜」
た、確かにそう・・・かも、しれない。
晴明が雅楽が好きだなんて、夕べ初めて知った。そもそも、どこで雅楽なんて知ったんだろう?
(会ったら、聞いてみようかな)
サラダボウルの中の、フレンチドレッシングのかかったレタスを口に運びながら、そんな事を思った。
「あ、博雅。お母さん、今日友達と会う約束があるから、お昼適当に食べて。シチュー作ってあるから」
「うん、わかった。この後図書館行くから、帰ってきてから食べるよ」
晴明からのメールはまだ来てないけど、これだけ晴れれば、雅楽演奏は開催だよな。
図書館には早めに行って、遅くならないで帰ってこよう。
そう思いながら、最後のトマトを口に入れた。
***
借りてた本の返却と、新しい本の貸し出しを済ませて図書館を出たのは、午前11時を少し過ぎたところだった。
駐輪場に停めてた自転車の籠に本を入れてから、上着のポケットを探る。
携帯を開くと、晴明からメールが来ていた。
『奉納演奏開催。駅の改札前、1時に会おう』
『了解。楽しみにしてる』
すぐに返信を打って、携帯をポケットに戻してから、自転車の鍵を外した。
(まだ時間あるな。違う道通って帰ろう)
図書館は一日居ても飽きないけど、今日は一時間で出てきてしまった。
待ち合わせの1時までは、まだ十分時間があるもんな。
少し遠回りになるけど。
図書館前の道を、来た時とは逆の方向に、走り出した。
所々、まだ微かに湿って斑になってるアスファルトの上を、風を切って走る。
(気持ち良い日になったな――)
思わず内心で独り言ちた。
雲ひとつない空は、真っ青で、眩しい位だ。
神社の例大祭。これなら、神様のお祭りに相応しい天気だよな。
そんな事を思いながら、大通りをしばらく走ってから左に曲がって、住宅街に入った。
スピードを落として、ゆっくりとペダルを漕ぐ。
この辺りは昔からの古い家が残ってる閑静な住宅街で、俺の好きなエリアだ。
山の手って言うのかな、大きな日本家屋とか、重厚な古い洋館とか、立派な家が多くて、見て歩くだけでも楽しい。
高い塀に囲まれてて、建物はあまり見えないことも多いけど。
道の両側に立ち並ぶ立派な家を眺めながら走っていくと、この一画でも特に俺の好きな、というか気になる家が見えてきた。
普通の建売住宅の6、7軒分くらいありそうな広い敷地の奥に建つ、古い洋館。
塀越しに建物の上半分しか見えないけれど、多分大正時代の建築じゃないかと思う。
日本家屋の雰囲気も取り入れた和洋折衷という感じの落ち着いた建物で、すぐ傍らに聳える大きなケヤキの緑が、良く映えてる。
庭にはケヤキの他にも大きな木があって、ちょっとした林みたいに見えた。
塀近くの八重の枝垂れ桜は、咲いてるのをこの春に初めて見たけど夢みたいに綺麗で、自転車を停めてしばらく見入ってしまった記憶がある。
どんな建物か、近くで見てみたいなぁ。
そう思いながらゆっくり走って、塀から見える二階の窓に向けてた視線を、前方に戻した時だった。
急に目の前に飛び出してきた、小さな黒い影。
「うわっ!」
キキ――ッ
反射的にブレーキを掛けると、タイヤの軋む耳障りな音がして、自転車が止まった。
ね、猫?
ドキドキする胸を落ち着かせながら目をやると、轢かれそうになった事など知らぬ気に、こっちをじっと見ている猫と目が合った。
金色の瞳をした、真っ黒な猫だ。
「こら、危ないじゃないか」
猫相手に文句を言っても仕方ないと思いつつ、思わず苦情が口を突いて出てしまった。
猫はまだ俺の事を見ていたけど、やがてふいっと視線を逸らすと、しなやかな動きで敷地の中に消えた。
この家の猫なのか?
「・・・あ」
その時に気付いた。
いつもは閉じてる門が、開いてる。
思わず自転車を停めてそっと覗くと、見たいと思っていた家の、正面右半分が見えた。
南側に大きく取った窓は窓枠が印象的で、遠目でも、今とは違う厚手のガラスが使われてるのがわかる。
半分だけ見える玄関には、ステンドグラスが嵌め込まれていた。
もっと見たくて、躊躇いながらも門から半歩身体を入れて、建物の全体を眺めてると。
人の姿のなかった庭に、家の裏手から男の人が現れた。
あ、と思った瞬間に、その人と目が合ってしまった。
結構離れた距離だったけど、俺を見たその人が、驚いたように目を瞠ったのがわかった。
家を覗いてる、怪しい奴と思われただろうか。
慌ててペコリと頭を下げて、門から離れようとしたのだけれど。
「君!」
庭にいるその人から、呼び止められた。
何をやってたんだと、咎められるんだろうか。
少しだけ不安を覚えながら振り向くと、その人は足早にこちらに近付いてきた。
背が高い。
二十代後半だろうか。そんなに怖そうな人には、見えないけど――。
その人は俺の顔を見て、何を考えてるか、わかったようだ。
「すみません、中を覗いたりして・・・」
「いやいや、君を怒るつもりで呼び止めたんじゃないよ」
謝った俺に、その人は大きな手を振りながら、にこりと笑った。
「ウチに用があったんじゃないのかい?」
「え、いえ、違うんです」
ホッとしながらも、慌てて首を振った。
「前から、こちらの家を見てみたいなって思ってたんです。今日通り掛かったら、門が開いてたものですから、それで・・・」
「家を?」
「はい、建築に興味があって・・・建物を見るのが好きなんです」
「ふうん、そうか」
その人はまた、にっこりと笑った。
イケメンっていうのか、格好良い人だけど、笑うと何だか可愛く見える。
年上の男の人に、こんな事思うのは失礼かもしれないけど。
その人はちらりと家の方を振り返ると、
「生憎今日は時間がないんだけどね、家を見たければ、また遊びにおいで。こんなボロ家に興味があるならね」
そう言って愉快そうに笑った。
それからふと思い出したように俺を見て、
「ところで君、花は好き?」
「えっ?は・・・はい」
突然の質問に戸惑ったけど、そう答えた俺に、その人は満足そうに頷いて言った。
「庭のバラが見頃なんだ。少し持っていかないか」
「え・・・」
「ほら、こっち来て」
言うなりスタスタと歩き出したその人の後を、躊躇いながら追いかける。
建物の、居間だと思う大きな窓のある部屋の前は、芝生になっていた。
その先に、色とりどりのバラの花が咲いてる。まるでちょっとしたバラ園みたいだ。
その人は庭にある鉄製のテーブルの上から、ガーデニング用なんだろうか、緑色のグローブを取り上げると、両手に嵌めた。
それから、やっぱりテーブルに置かれてた剪定鋏を取り上げると、
「ほら、こっち」
俺にそう言って、バラの茂みの中に入っていく。
近付いてみると、遠目にはわからなかったけど所々に小道が作ってあって、きちんと花壇のようになっていた。
甘い香りが、辺りにふんわりと漂ってる。
「好きなバラはあるかい?」
「えっ」
「リクエストがあれば、遠慮せずに言っていいよ」
剪定鋏を見せながら、その人は機嫌よく俺にそう言うけれど、何て言ったらいいのか、困ってしまった。
「ないなら、任せてもらえるかな」
「は、はい」
「よーし、君に似合うのを選ぼう」
お、俺に似合うバラって・・・そんなの、ないと思うんだけど。
所在無さ気に立っている俺に構わず、その人はパチリパチリと、豪快にバラを切っていく。
「あ、あの、少しでいいです。せっかく綺麗に咲いてますし――」
「綺麗に咲いたから、持って行って欲しいんだよ、君にね」
「え・・・」
ほんの数分で、その人の腕には、抱えるほどのバラの花束が出来ていた。
え、これ、全部!?
「今、包むから。新聞で悪いけど」
「いえ、そんな――」
「荷物になっちゃうけど、自転車だよね」
「はい」
あれ?俺が自転車だって、どうしてわかったんだろう。門の外に停めてる自転車、見たのかな?
俺の疑問には気付かない様子で、その人はバラの茂みから出てくると、さっきのテーブルにあった新聞を取り上げて、それを広げた。
そうして、その上に置いたバラを手際良くくるくると包むと、グローブを外して俺を振り返った。
「一応、説明するとね」
花を俺に向けて、
「この白いのが、グラミス・キャッスル。で、これはアンブリッジ・ローズ。春はピンク色なんだけどね、秋咲きはアプリコット色になるんだ。同じアプリコットだけど黄色味の強いこっちは、ジュード・ジ・オブスキュアー。この三種類は、イングリッシュローズだよ。そしてこのピンク色で八重のクォーター咲きのが、オールドローズのスブニール・ドゥ・ラ・マルメゾン。庭にある中から、君のイメージで選んでみたんだけど、どうかな」
そう言いながら、その人は新聞紙に包まれた豪華な花束を、俺に手渡した。
「ありがとうございます。すみません、こんなに沢山・・・」
お礼の言葉は、ありきたりの文句しか出てこなかった。
こんな風に花を貰った事なんて、今までにないし。何て言ったらいいのか、わからなかったんだ。
「綺麗ですね・・・」
思わず呟いたのは、心からの言葉だったけれど。
胸に抱えた花から、甘い香りが立ち上ってくる。バラは、20本はありそうだった。
しばらく花を見詰めた後、我に返って顔を上げると、その人は目を細めて俺を見ていた。
「君は、高校生?」
「はい。一年です」
「そうか」
何だか、楽しそうだな。
「家が近いなら、また遊びにおいで。古いだけで大した物はないけど、建築に興味があるなら、屋敷を見るのも悪くないだろうしね」
「はい、ありがとうございます」
花を抱えてペコリとお辞儀をすると、その人はまた愉快そうに笑った。
「あの、それじゃぁ僕、そろそろ失礼します」
「そうかい?」
「はい。バラの花、どうもありがとうございました」
「どう致しまして」
もう一度頭を下げてから、歩き出す。
門まで来て振り返ると、その人はまだこっちを見ていて、俺に手を振ってくれた。
俺ももう一度お辞儀をして、思いがけず潜った門を出る。
それから、門に掲げられた表札を見た。
『勘解由小路』
な、何て読むんだ?
家も敷地も立派だし、何だか由緒ありそうな名前だな・・・。
そんな事を思いながら、バラの花束を自転車の籠に入れようとして、視線を落とした。
「あ」
花の包まれた新聞が英字新聞だって事は気付いてたけど、よく見るとそれは、フィナンシャル・タイムズだった。
一瞬、父さんを思い出してしまった。
あの人も、金融関係の仕事なのかな。
『君に似合うイメージで、選んでみたよ』
一緒に、さっき言われた言葉も思い出してしまった。
耳に心地よい声だったけど、正直言われた言葉には、頷けない・・・ぞ。
籠の中の、綺麗なバラの花。
その時不意に、晴明の貌が浮かんだ。
(この白いバラ・・・)
晴明、みたいだ。
晴明だったら、男だけど、このバラみたいだって言っても違和感ないよな。
いいや、文句なく似合うと思う。
「あ、時間!」
急に約束を思い出して、慌てて腕時計を見た。
大丈夫、まだ余裕ある。でも、そろそろ帰って昼ご飯食べなくちゃな。
自転車のスタンドを外して、もう一度表札に目を向けた。
なんだか不思議な出会いだったけど、良い人だったな。
段々と、楽しい気分になってきた。
(午後は、晴明と雅楽だしな)
初めて体験する雅楽が楽しみなのか、晴明と出かけるのが嬉しいのか、俺にもよくわからなかったけど。
きっと、両方なんだろう。
アスファルトを蹴って、自転車で走り出す。
籠の中で、晴明みたいな白いバラが、秋の光を弾いてきらりと光った。
To be continued


今回は、後編で終わる、といいますか、終わらせるつもりです〜(^-^;
でも、話がまだ殆ど未定なので、困ってます(汗)
自分で自分の首を絞めてるような気がしますね、ハハ・・・。
高校生の男の子だと、段々難しくなってくるんでしょうね。
会話なんかも減ってきたりして。あ、中学校の高学年くらいから?
その辺り、この博雅は素直で、お母さんともよく喋る性格ですね。きっと幼少時から、育てやすい子だったのでしょう(笑)
前後編だし、あまり引っ張らないようにしたいと思っているので、これから苦労して後半を考えます〜。
そろそろ、平安も懐かしくなってきましたしね(^-^)
ではでは、ご訪問&カキコありがとうございました♪
博雅、素直な高校生ですね〜。お母さんとあんな会話ができるなんて、このお母さんはしあわせものです。
晴明の登場場面はなかったけれど、兄さんも出てきたことだし、晴明と兄さんがどうからんでいくのか、楽しみです。
兄さん、バラに囲まれた洋館に住んでいるお金持ちなのかしら。
博雅は雅楽を聞いてどんな反応を示すのかな〜。
晴明もそれを期待して誘ったのでしょうけど、どうでしょう?
いまのところ二人とも普通の高校生のようですけど、きっとこれから人並みでないなにかを現していくのでしょう?
後編で終わるのでしょうか??